ペットは子供でなく、子供はペットではない。





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名前を付けたり、言葉にすることでようやくその内容が腑に落ちることが最近よくある。

 

「可愛がることと育てることは同義語では無い」

 

これが最新の腑に落ちブーム。

 

書いてみると当たり前なのだけど認知バイアスのせいなのか実は分かっていなかったようで。

 

この言葉を初めて聞いたのはいつだか忘れてしまったけど、このおかげでいくつか自分の中で答え合わせができた。

 

1つは“子供”

友達の子供と遊んでいた。その友達には私は子供は持たないと伝えてある。

「子育てうまそうだけどねー」

としばしば言われる、そして子供にも好かれる。

そう言われる度に変な気持ちになり、

 

「いや違うんだよな〜、

でもうまく説明出来ないし、

興味ないんだよねと言えば、

出来たら可愛いと思えるようになるよきっと!ってどうせ言われるだろうし、

虐待されてて虐待する恐れがあるからと言ったらドン引きされるだろうし、

楽しく遊ぶことはできても、子供が泣き出すと恐ろしく感情を揺さぶられ、その場から逃げ出したくなる。しかも私は可愛がっているのではなく承認欲求を満たしているだけなんだし、

そんなんいちいちバラすのやだしなー。」

 

と思って流していた。

それが今ははっきりと自信を持って

 

「可愛がることと育てることは違うからだよ」

 

と言うと何かしら察してくれるのか、子供を持つことを勧められる事はなくなった。

 

ただ単に出産適齢期を過ぎたからもあるか…。

 

ちょっときつい言い回しかもしれないがしょうがない、それに虐待防止の啓蒙にもなる。

 

 

 

2つ目は私の“ペットロス”。

虐待されていた子供の頃私の実家では犬と猫を飼っていた。

猫は母が異常に執着していて、可愛がっていたので少し近寄り難かった。犬はまともな躾をしていなかったのでかなり暴れん坊だったけど、私(他の家族もだけど)を見れば単純に全身で喜びを表してくれる彼が、唯一無条件でかまってくれる存在だったので楽しかった。

 

特に私がその犬を一番可愛がっていたというわけでもないのに私がペットロスなのは、せっかく裏表のない愛を与えてくれた彼を私が見捨てたと認識しているから。

 

 

今ほどペットに対する躾もポピュラーでなかったので、なかなか言うことを聞かない犬を私はよく叩いた。

それでも彼は私をかまってくれた。

そのうち私が中学校に上がる頃には、私は他のものに興味が湧き出し、ほとんど犬をかまってやらなくなった。

その後、犬は外飼いだったのでフィラリアにかかり苦しんで死んだ。

 

今でも犬だけでなく動物は大好きで、動画をたくさん見るし、動物園にもよく行く。

なので周りから「なら飼えばいいじゃん」と言われ、具体的に考え出すとなぜか途端に恐怖を感じて泣いてしまう。保健所に犬猫を貰いに行こうものなら、「自分がもらわなかったらこいつらは皆コロされる」と勝手に絶望し選ぶ所ではなくなるだろうし、貰ったらもらったで他の皆を見捨てたことになってしまい罪悪感に苛まれるだろう。

自分でもめんどくせー奴と思う。

やってみなければわからないが駄目だったときドースンノ。

 

なので上記の言葉を見つけてからは飼わないことに決めた。

 

 

 

昔友人が引っ越しで置いていったので引き取ったハムスターを、世話が面倒くさくなりゴミに捨てた私がもとより言えたことではないが。