もう中年という歳になって、私は今やっと子供時代を楽しんでいる気がする。
最近やたらと好奇心が湧いて、何にでもワクワクする。
なぜ子供時代と思うのか、
幼少期にそういう体験が無くはなかったと思うけど、友達と遊んでいてもどこか、自分の中で勝手に友達に優劣をつけたり、周りをコントロールしようとする事ばかりに気を取られていた。
今思えば一人で遊んでいる時でもいつも心の中でどこか「~しなければいけない」とか「~したほうが良い」とか、自分がしている物事そのものを純粋に楽しむと言うよりかは使命感や達成感、これをしたら誰かの気を惹けるとか、話題作りの為にしていた。
遊んでいるはずなのにどこか「使役」になっていた。だからあまり楽しい記憶としては残っていない。
電線に止まった鳥をただ観察したり、
人が旅行した時のお土産話をじっくり聞いたり、
自分の知らなかった新しい技術やジャンルを五感をフルに使って知ることが素直にとても楽しい。
先日も、知り合い釣った魚をさばいていた。それを見るだけでワクワクして、魚の造形美と色彩に見とれたり、取り出した内臓を手にとってはこれは胃?これは腸!と観察。胃の内容物を観察して川の匂いを嗅いだり、エラが赤いのは血が通っているから、だから水で洗うと白くなると教えてもらって感激したり。
魚をさばく場面など過去に幾度となく見ているのに何故だろう。
かと言って私自身が行動的になったり、何かを新しくはじめたりするわけではなく、相変わらず引きこもり社会人のままなのだけど。
でもそれがいいんだと思う。
以前の私だったら、私も彼らと同じ様に何かやらなきゃとか思ってしまうので話を聞くのが楽しくなかった。
でも今は、何もしない、ただ毎日働いて、食べて、寝て、ネットサーフィンの繰り返しでも昔ほどの罪悪感はない。
そんな静かな生活をしている人は私の周りにはいないけど恥ずかしいとも思わなくなったし、隠そうとも思わなくなった。
だからよく観光地で写真を取るのに一生懸命で、ずっとカメラの画面しか見てない人をみると、以前の私を見ているようだ。
もっと自分の目で見て、匂いを嗅いで、聞こえるすべての音に耳を澄ませて楽しんでほしい。
とかなんとか言っといて私のはただの躁転な気がする。