悪口への認知行動療法

 

 

 


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自分に子供がいないし、産める歳も過ぎたし、欲しいとも思えないけど自然と将来的孤独などを気にしてしまうので、

知人や身近な女性が妊娠したと聞くと、おめでとうの笑顔の裏で

 

「流産すればいいのに」

とか

「妊娠中に旦那が浮気すればいいのに」 

とか

「障害児が生まれればいいのに」

 

と思ってしまう。

 

 

 

そういった心持ちを先日20年来の担当医に話したところ、いつもは何があっても冷静で淡々と話す医者が

 

「それは人として…ねぇ」

 

と言葉につまっていた。

 

もちろん医者の言う通り。

私もそう思う。

喉元過ぎてしまえば相手に対して素直に喜ぶことができるのに。

 

楽しいことは何も思いつかないのに、そういう残忍なことは考え出すといくらでもホイホイ頭に浮かぶ、余程そのへんのシナプスの束が太いのだろうと想像するくらい。

 

でも以前と違うのはそういうことが頭に浮かんだ時あんまり自分の中で誤魔化さなくなった事。

 

だから長い付き合いの担当医にも初耳なのだ。

 

以前は “そういった考えは嫌悪しなくては” と無理くり何かで覆って抑圧していた、でもそれはなんの解決にも、消化にもならず蓄積されるだけ。

それを止め

「取り敢えず頭に浮かんじまうものはしょうがねぇよな」

と受け入れるようになった。

 

この変化の自分なりのメリットは、受け入れることで事をそこで中途半端に終わらせず、何故そう思うのか、頭に浮かんでしまった時どうすれば消化できるのか、継続して考えるようになった事かな。

解決策はまだないけど。

 

未だ誰かの幸せそうな場面を見ると一瞬顔が引きつってしまい、相手に不安を与えかねない。

 

 

「私は内心こんなことを思ってますよ、でもこれは私の認知の歪みから来るもので、あなたのせいでは無く課題の分離(アドラー!!)だから気にしないでね」

と正直に言えたら楽なのだけど、

 

言わないよ、言ったって分からねーもん。