親に身体的にも精神的にも殴られ犯され、それでも毎日愛されようと努力したにも関わらず、幼くして絶望と恐怖の中死ぬのと、
親に精神的にも身体的にも殴られ犯され育ち、一生精神病者として24時間断崖絶壁の縁に立っているような緊張と恐怖の中、健常者と同じ様に生きることを強いられるではどちらが不幸でしょうか。
「生きてさえいれば」
と説く人がいるけれど、
24時間の絶望の中たった10分、
食べたご飯がおいしかったとか、
テレビのお笑い芸人のネタが面白かったとか、
感じられたら生きている意味はあるのでしょうか。
「あー死ぬんじゃなかった」
死んだ本人がそう言ったわけではないのに、
どうして比べることができるのでしょうか。
死のうと思って死ねなかった人が後で生きててよかったと言ったから
は死んでないから違う。
「亡くなった○○さんはあなたが幸せになることを望んでますよ」
本人がそう言ったの?
「○○さんはきっとあの世で楽しくやってるよ」本当に?
人は死ぬと生きている人間に再利用されます。
生きている人間が逃れられない死の恐怖から目をそらす為に、
理由なく物事が存在することに耐えられず、自分に都合の良い味付けをして処理します。
伝説化し崇め奉ってみたり、
物体化し身に付けてみたり、
どちらにしろ死人にクチナシです。
生きるということはただそこにあること。
死ぬということは生きていた場所から消滅して、体は塵となって消えて、人の記憶からも消えて、後には何も残らないこと。